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小エッセイ,佐野虔之介,Ken
Sano
Les
Esglésies
Romàniques
Catalanes---ロマネスク教会---
われわれの住むソルソ-ナ付近にはロマネスクの教会や城跡がたくさんある。
11世紀、12世紀のたたずまいをそのまま残したものも多く、人里離れた場所で、それらの中に立入ると、中世の騎士アーサー王かランスロットにでもなった気持ちになる。かたわらにある棒切れも、手にすればすっかり名剣エクスカリバーとなってしまう。そしてふと気がつくと、この中世の白日夢は、春の野をかけめぐり、遠く、古い日本にたどり着いている。
[卯の花に 兼房見ゆる 白髪かな]の平泉である。
しんとした中、卯の花が咲き乱れ、そこに春の陽ざしがふりそそぎ、今はない栄華の様が浮かんでくる。が、しかし、このシーンの中で滅び去った義経を踏台に、鎌倉政府ができるという歴史のストーリが続くが、これをして、ああ、無情というべきか。芭蕉と曾良の句の本質がそこにある。
まったく同じ時期、イスラムからほぼ全土を回復したカタルーニャではロマネスクからゴシックへと建築・造形の表現形態が移行期を迎えていた。やはり社会が大きく変わりつつあることを予感させるものだ。この時期と前後してカタルーニャは地中海世界のハケンを握るようになる。
春風にのった甘い香りで、夢は再び手にしたエクスカリバーに戻り、現実とも夢ともつかず、かたわらのかみつれ草の白い花を見て、たわむれに口遊ぶ。9世紀フランク王国の王様たち
[かみつれに カルレス見ゆる 禿頭王]
この9世紀頃の王様にはいろいろとあだながついていた。“とんかち”“短躯(チビ)”“偉大”など、
この禿頭、つまりハゲアタマだが、これもその一つ。しかしふざけてはいけない。白い花にハゲが見えるわけがない。
岩塩の鉱脈をもとに、その生産で中世巨大な富を築いたカルドーナ、現在は人口6000人の小さな町である。
かつての城を改造した高級ホテルのパラドールがあり、ヨーロッパ域内のヴァカンス客を集めて有名だが、ここにサン・ヴィセンス教会がある。11世紀建設のロマネスク様式であるが、そのプロット・プランが既に、きたるべきゴシック様式を垣間みせているといわれ、カタルーニャを代表するロマネスク教会建築として、ていねいに修復され、現在にいたっている。カルドーナの町自体難攻不落と思われる小高い山の上にあり、そこからまた一段の高みにパラド-ルとなった城塞とあわせる形でこの教会が建てられている。ここからの眺めは素晴らしく、真下には赤茶に渋く光る屋根瓦が連なったカルドーナの町が見下ろせ、目の前には既に廃坑になった塩の山がせまり、首を180度後ろに回せば遠くピレネーの山々が見える。一方町へ入るまでは、山の下から少しずつ近ずいて行く格好で、下から見上げることになる。そのような時も様々な姿を見せてくれた。あるときは朝日を浴び燦然と屹立している様が、あるときは夕日の中でオレンジ色に染まっている様子が、そして春霞のもやの中ではボヤッとかすんで幽玄の世界に浮いているように見えた。
このサン・ヴィセンス教会、現在は本来の教会の使命より、より多く文化的活動の場として利用されている。
コンサート・ホール、シアター、ウェディングなどとして,である。
今は亡き,かつての名ソプラノ歌手ヴィクトリア・デルス・アンジェルス(ビクトリア・デ・ロス・アンへルス)がここでリサイタルを開いた。たぶん市役所から運んできたのだろう、カルドーナの名入りの簡単な椅子が、3身廊の教会内部に側廊まで,所狭しと並べられていて満員の人である。簡単な照明はあるが音響の設備はない。必要ないのだ。
教会の石の壁は音を反射する。反射した音は反対の壁にあたり再び反射する。そうすることによって四方八方から音響がふりそそぐようになる。
教会の祭壇で歌うアンジェルス、年老いたといえ、よりいっそう大きくなったように見える躯を共鳴体としてカタルーニャの民俗歌曲を歌う。高さ約20mの半円筒ヴォールトの天井にこだまし、ソプラノが教会全体を包み込む。春の宵、あつい拍手が外の冷気を中に届かせずに遮断する。
コンサートのあとは隣のパラドールのディナー,夕食だ。アンジェルスを囲んでかなりの参加者がこの豪華な夕食を楽しむ。アンジェルスにサインをもらう人、握手をして満足する人、シャンパンの乾杯をする人など様々である。アンジェルスもあちこちのテーブルに気軽に近ずき「きょうはいかがでしたか?」と聞いて歩く。生きた教会、生きた音楽なのである。
カタルーニャ、レィダ県オリウスにあるサン・テステーブ教会は1079年建設の11世紀初期のロマネスク教会である。カルドーナから25km程度の距離だ。ピレネー山脈のカディの山から流れ落ちるカルダネー川がダム湖であるサンポンス湖に流れ込む少し手前を上流に遡った所にこじんまりと、ひっそり小さく美しい姿を見せている。
傍らに立ち、あたりを見渡すと松におおわれた山が重なるように、この谷を囲みながらズンズン奥へ奥へと連なっていく。そしてその先にはピレネーの高峰が春の残雪に輝いている。プランの軸はきちんと東西に配置してあり半円型の後陣はロンバルジア帯を持ち、東を向いている。反対の西には扉口のあった痕跡があるが、その後の改築で現在はふさがれており、人の出入りは南側中央部で行なっている。
4月、ソルソーナにある保険会社のお嬢さん、モンセラート・マス嬢がオランダの青年ヘルベルトと結婚式をあげたのがここである。合計6本の支柱に支えられた割り石組のアーチドームを持つ3廊形式の小さなクリプタ(地下祭室)は、小さく単純ながら、その空間は凝縮して密度は高い。しかし今日、ここにはモンセラート・マス嬢の知人であるモンセラート・カゼス夫人の手で美しい花が飾られ、この教会の回りから摘み採られた春の野花を主にあくまで清楚にだが、それは花嫁であるモンセラート・マス嬢そのままといってよく、にこやかな人々の笑顔とあいまって華やかであり、緊密な空間も一瞬笑みをこぼしているようだ。この空間、時に行なわれる夏の夜の音楽祭でもバッハなどの緊密な音楽が演奏されると、密度の高い空間とあいまって、あたかもバッハ時代にいるような錯覚を覚える素晴らしい効果を生む。そしてここでモンセラート・マス嬢がかつてメンバーであった、オルフェオソルソーナ(ソルソーナ合唱クラブ)がお祝いの歌声を響かせると、負けじと、オランダの人々が自慢の歌を返してきて、900年の歳月を経てこのクリプタ今日に生き生きとしている。結婚式やミサ、そして音楽祭、こうした日常的な小さな作業が、積み上げられた、小さな割り石のひとつひとつにしっかりと記憶されていって、このクリプタの・#27508;史・#12434;創っているようにも見受けられる。
助祭を2人従えた司祭がカタルーニャ語と慣れないオランダ語で式を司る。時につかえたり新郎に助けられたりと、なごやかに進行し、約1時間のセレモニーの後、最後に教会南側中央の扉口から出てくる2人にお米の雨が降り注ぎ終了である。扉口の前では一時それぞれの感想や新郎・新婦を交えての話に花が咲く。花嫁の白いドレスが春風にふかれてヒーラ・ヒラする中、やさしい陽の光に金髪がキラキラ光るオランダの小さな男の子からスミレの花束を差し出され、モンセラートのふだんから美しい顔は笑顔に笑顔を重ねたようになり、その輝きを一段と増す。
「ありがとう!!!」と、モンセラート
「?」 カタルーニャ語が分からずキョトンとしている男の子。でも気持ちは伝わる。
「歌もうたったし、お米も投げたし、花もあげた。僕達の役はこれでおしまいだネ」という表情の子供たち、緊張しながらも満足気だ。人々が三々五々解散したあと、教会付近は再び静かでのどかな春いっぱいの、たぶん
11世紀も同じ風景であったろう世界にもどる。
16世紀に増築された鐘塔も11世紀の本堂もこれらの光景をじっと見守っていることだろう。人とロマネスク、相互に緊密な関係があることを示している。
ロマネスク教会は利用されることによって保存されていく。それは伝統的に受け継がれてきたキリスト教精神と、近代的ではあるが文化遺産の愛着という双方が、程よくミックスしている人々の在り様の作業結果であろう。
カタルーニャ、そのアイデンティティの基礎であるロマネスク、そしてこれら教会はこのように利用・保存されることによって次世代へ新しい展望を提供するという重要な仕事を担っているのだ。
写真解説、
本文とは直接関係のない写真だが、一般的なイメージとして採用している。
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後世の修復などがあってもいくつかの中世期に作られた石の構造や、彫刻も残されている。この教会は12世紀の建立でその当時の手業のあとは3層のアーチで組まれた入り口に残っている。
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石に彫られた彫刻類も中世の特徴であり、さまざまな挿話や動植物が刻まれている。この石はドラゴンを退治する騎士であり、その姿に一心不乱さが表れていて、悪に
対するキリスト教的善が見る人によく伝わってくる。このような造形がいくつも見い出すことができるのも,また中世期の石の造形である。 |
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